「一言坂の戦い」は、「西上作戦」で三河国へ攻め込んだ武田信玄と、それを迎え撃つ徳川家康の間で起こった戦。 家康の予期しないタイミングで開戦したため、家康は撤退を即決。 本多忠勝の奮戦で撤退に成功するも、信玄に二俣城を取られる結果となりました。 一…
「木崎原の戦い」は日向国統一を目指した伊東義祐が、当主を失ったばかりの島津家に挑んだ戦い。 この戦いでは伊東軍3000vs島津軍300という、島津軍の圧倒的不利な戦況でしたが、大将の島津義弘の活躍で島津軍が勝利。 両軍の戦死者が1000人を超える激戦となり…
「志賀の陣」は、摂津国へ攻めに行った織田信長の隙をつき、浅井長政と朝倉義景が京を狙い挙兵した戦い。 この戦いではその後、反織田勢力が次々と便乗して挙兵。 信長は多くの敵に囲まれピンチを迎えますが、最終的には講和に終わります。 志賀の陣まで 金ヶ…
「金ヶ崎の退き口」(金ヶ崎の戦い)は、朝倉家を攻めていた織田信長に浅井長政が裏切り、攻めてきたことで起こった戦。 この戦いで周囲を敵に囲まれた信長は、絶体絶命の大ピンチに陥ります。 しかし織田家臣の活躍により、信長はこの危機を脱することになりま…
「石山合戦」は、勢力を著しく拡大していた織田信長に対し、本願寺顕如が起こした一揆。 この一揆により「信長包囲網」はさらに強固なものとなり、信長は11年間もこの一揆に苦しめられることとなりました。 石山合戦まで 信長と義昭の決別 石山合戦 緒戦は織田軍…
「長島一向一揆」は、当時勢力を拡大してきていた織田信長に対して、長島(伊勢国)の本願寺教徒が起こした一揆。 最大で100000人以上も参加したこの一揆は、3度にも渡る信長との戦いにより鎮圧。 信長は一族や家臣を多く犠牲にして、本願寺勢力を大きく衰退させ…