戦の図鑑

超わかりやすく戦を図解で解説していきます!

川中島の戦いをわかりやすく簡単に図解解説!信玄と謙信の一騎討ちとは…

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一騎討図:出典wikipedia

 今回は武田信玄上杉謙信が激戦を繰り広げた大戦、「川中島の戦い」について解説していきたいと思います!

この戦いでの勝者はいなかったものの、被害の大きさや数々のエピソードがあるので、この戦いを知っている方も多いのではないか、と思います。

川中島の戦いは実は5回行われていた

 この戦いを解説する前に、まずは何を解説するかをお話しします。

「いや、川中島の戦いを解説するんでしょ?」

と思っているかと思います。まあそうなんですが、実は川中島の戦いは5回行われていて、今回は、

この第4次川中島の戦いを解説していきます!

なぜかというと、他の戦いでは、「川中島の『戦い』」と名前が付いているにも関わらず戦いをしてなかったり、戦いをしていても小規模な戦いだったりします。

なので唯一大きな戦となり、知名度も高い第4次川中島の戦いを解説していきたいと思います!

 

 

 川中島の戦いの主人公達

まずはそれぞれの大将について基礎知識を軽く解説しておきます。

武田信玄

 武田氏は代々甲斐国(現在の山梨県)を支配している大名でしたが、信玄の時代に勢

力を広げ、川中島の戦いの時には隣の信濃国(現在の長野県)もほぼ平定していて、と

ても凄い人物でした。

上杉政虎(謙信)

 上杉政虎の家は長尾家といって越後国(現在の新潟県)を支配する上杉家の家臣でし

かありませんでした(始めは政虎も長尾景虎と名乗っていました)。

 

しかし政虎は主君の上杉家からその地位を譲られると、争いの絶えなかった越後国

統一し、国を豊かにすることにも成功します。

 

この政虎という人物も信玄に負けず劣らず凄い人物だったことがわかりますよね。

 

※因みに政虎は後々謙信と名前を変えます。こちらの方が馴染み深いですね。

川中島の戦いまでの道のり

 ここからは川中島の戦いが起こるまでを解説していきますが、実は武田信玄と上杉

政虎はそもそもお互いに害はなく、戦う必要はありませんでした。

元々は武田信玄上杉政虎は敵同士ではなかった

 まず川中島の戦いが起こる前に、上杉政虎の元々の主君である上杉憲政という人物

と、関東の支配者であり武田家との同盟相手である北条家は争っていました。

この戦いに敗れた憲政は、越後の上杉政虎(この時は政虎の名前ではありませんが)の

元へ行って助けを求め、政虎に主君としての地位を譲りました。

 

そこで政虎は、憲政に代わって北条と戦うことを決めます。

 

政虎は上手く戦い、今度は北条家の方が劣勢になると同盟相手の武田家に助けを求め

ます。

 

こうして信玄と政虎は戦うことになりました。

 

川中島の戦い

両軍の着陣

信玄が攻めてくることを知った政虎は、関東で北条家を攻めることを止め、自分の領

地に帰り信玄と戦うため妻女山という山に陣取ります。

18000の兵が居ましたが、別動隊を別のところに置いていたので布陣したのは13000。

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両軍の着陣/地理院タイル(国土地理院)を加工して作成 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

対する信玄は茶臼山に20000の軍勢を布陣してから少しの間にらみ合いが続くと、海

津城に進軍させて近寄りますが、ここでもにらみ合いが続いてどちらの軍も動きません。

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武田信玄海津城に進軍/地理院タイル(国土地理院)を加工して作成 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

膠着状態が続き士気が落ちる中、ここで先に動いたのは武田軍でした。

啄木鳥戦法

戦が進展しないことに焦った信玄の軍師である山本勘助らは「啄木鳥戦法」という戦

法を信玄に提案します。

この啄木鳥戦法とは、武田軍を2つに分け、片方の軍が上杉軍に奇襲をかけ、驚いて逃げるであろう上杉軍をもう片方の軍で挟み撃ちにするという戦法でした。

この作戦を採用した信玄は、家臣の高坂昌信達に12000の軍を率いさせて政虎の所に向かわせます。

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啄木鳥戦法/地理院タイル(国土地理院)を加工して作成 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

信玄自身は8000の兵で八幡原へ移動し、逃げてくるであろう上杉軍を待ち受けていました。

しかしこの戦法には弱点がありました。

それは兵を2つに分けたので、

片方の軍だけ攻められると弱いことでした。

政虎の気付き

この作戦が成功すれば良かったのですが。そんな簡単には行きません。

政虎に奇襲がバレてしまったのです!

なぜバレてしまったのか。

それは、いつもよりも海津城から出てくる米を炊くときの煙の量が多かったから。

戦をするときには、いつも戦い途中でも食べ物が食べられるように、米を余分に炊く

ので、政虎はそれを見て「武田が攻めてくる」と気付いたのでした。

毎日煙の量を見てなければ気付けないようなことなので、常に観察していた政虎は本当に凄いですよね。

奇襲を見破った政虎は、逆にこちらから奇襲してやろうと考えます。

家臣の甘粕景持に1000の兵を預けて武田軍の別動隊を食い止めるよう命じ、

自分は12000の兵を率いて武田軍本陣に進みます。

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政虎の気付き/地理院タイル(国土地理院)を加工して作成 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

信玄本陣へ大奇襲

この時霧がかかっていたので、武田軍からは上杉軍が見えず、霧が晴れた時には何と

上杉軍がこちらへ向かって来てるではありませんか!しかも別動隊と戦わずに。

 

武田軍は何とか戦いますが、かなり厳しい戦いとなっており、この時信玄の弟の信繁

や軍師の山本勘助などが討ち死にしてしまっていました。

信玄と政虎一騎討ち

さらに武田軍は軍が薄かった

ので政虎軍によって信玄本陣まで入り込んだ者もいました。

その中に何と政虎本人も紛れ込んでいたのでした!

そのタイミングで信玄と政虎の一騎討ち

が行われ、信玄は3回切りつけられたものの、命に別状はなかったそうです。

形勢逆転!?

 しかしここでようやく武田軍の別動隊が甘粕景持隊を蹴散らし、信玄達のピンチに

駆けつけます。

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危機一髪/地理院タイル(国土地理院)を加工して作成 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

武田方としては予定とは違ったものの、最終的にはこのように挟み撃ちすることにな

ります。こうなると上杉軍は不利になり、次第に武田軍が優勢になります。

そして撤退・終了へ

挟み撃ちされて被害も大きくなってきた上杉軍は戦場から善光寺まで撤退し、善光寺

にいた別動隊と合流して越後国に帰っていき、ここで第4次川中島の戦いが終わりま

した。

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川中島の戦い、終了/地理院タイル(国土地理院)を加工して作成 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

どちらも被害が大きく、被害兵数が両軍合わせて10000を超える大戦となりました。

どっちが勝ったの?

この戦いは前半は上杉軍の優勢、後半は武田軍の優勢と一般的に言われているので、

結局は引き分けといえるでしょう。

まとめ

  • 武田と上杉はどちらも周りに巻き込まれて戦をした
  • 啄木鳥戦法で戦が大きく動いた
  •  どちらも甚大な被害を受けて引き分けに終わる

ということでここで川中島の戦いの解説を終わろうと思います。

お付き合い頂きありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ