戦の図鑑

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永正の錯乱とは?将軍に次ぐ名家、細川家の内紛を完全まとめ!

永正の錯乱

 今回は「永正の錯乱」について解説していきます。

この永正の錯乱は、暗殺された細川政元の後継者を巡って、

  • 細川澄之
  • 細川澄元
  • 細川高国

の3人の養子が争いました。

そしてこの乱によって、澄元の一族が後継者に決まりますが、畿内は20年間も戦に巻き込まれることになってしまいます。

永正の錯乱

では早速、永正の錯乱を解説していきます。

失脚を恐れて細川政元を暗殺

細川政元が暗殺されたことから、永正の錯乱は始まりました。

この細川政元という人物は、名門である細川家の主流の当主。

将軍の次に偉い「管領」という役職にも、長い間就いていた人物です。

また政元は「明応の政変」を起こし、将軍を変えた実績を持っており、実質将軍よりも力を持っていた?とまで言われていました。

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しかしそんな政元にも、最期の時が来ます。

養子である細川澄之の家臣によって、暗殺されてしまうのです。

なぜ暗殺されたかというと、政元は始めに貴族出身である澄之を養子に迎え、後継者にしようとしていましたが

澄之様は政元様との血の繋がりが全くないから、当主にはふさわしくない

という声が多くありました。

そのため、一族の細川澄元を新しく養子に迎えましたが、困ったのは澄之の家臣。

澄元が当主となれば、澄之様は扱いが悪くなってしまう

そうしたら我々家臣も遠ざけられてしまう

ならばいっその事政元様を暗殺して、強引にでも澄之様を当主にしてしまおう

と考えるようになります。

そのため政元は暗殺された、と考えられています。

3人の当主候補

暗殺された政元には子がいなかったため、養子を迎えていました。

それが

  • 細川澄之←九条政基の子
  • 細川澄元←細川義春の子
  • 細川高国←細川政春の子

の3人です。

この表を見ると、澄元と高国は細川一族の出身で、澄之のみは別の一族の出身だということが分かりますね。

そしてここからは、この3人によって後継者争いが始まっていきます。

最初の脱落者、細川澄之

澄之の家臣は政元を殺すと、澄之のライバルである澄元と、その家臣三好之長の屋敷に攻め込みます。

不意をつかれた澄元と之長は抵抗できず、そのまま近江国へ逃げていきました。

近江国へ逃げる細川澄元と三好之長

近江国へ逃げる細川澄元と三好之長

こうして敵を追い出すことに成功すると、家臣は澄之を家督に据えます。

これで後継者争いは終結か……と誰もが思った頃、ある人物が行動を起こします。

それはもう1人の養子、細川高国

高国は細川の分家の当主や、有力大名の畠山義英と話し合いをし、

細川澄之ではなく、細川澄元を次の当主にするべきだ

という意見を一致させ、仲間を増やしていったのです。

そして近江国に逃げていた澄元と之長も、近江国の勢力を結集させ決戦の用意を整えます。

このようにして体勢を立て直した澄元側は、澄之の重臣(薬師寺長忠、香西元長)の居城である

  • 茨木城←薬師寺長忠の居城
  • 嵐山城←香西元長の居城

を落とし、澄之の最後の拠点である遊初軒へと進軍しました。

茨木城と嵐山城を攻め落とす細川高国と三好之長

茨木城と嵐山城を攻め落とす細川高国と三好之長

そして遊初軒まで敵が来たことを知った澄之は自害。

澄之は後継者争いに敗れたのでした。

再び分裂する細川家

ここまで高国には当主になる気はなく、あくまで澄元を当主にするため行動してきました。

しかし次第に高国は、

自分が当主になってやろう

と考えるようになります。

それはなぜか。この理由を知るためには、当時の情勢を知る必要があります。

この頃の日本は将軍を決めるため

  • 足利義澄(現将軍)
  • 細川澄元(有力大名)

  • 足利義稙(前将軍)
  • 大内義興(有力大名)

2つのグループに分かれて争っていました。

澄元は幕府側として義澄に味方していましたが、戦いを終わらせるため、敵の大内義興に使者を送ります。

そしてその使者が、高国でした。

しかしこの時、澄元の重臣である之長が

俺のおかげで澄元様が当主になったんだから、俺が政治をする

という風に政治を行うようになり、周囲からの不満が高まっていました。

この不満に思っていた人達は、次第に

澄元様よりも高国様が当主になった方がいいんじゃね?

となっていき、高国のもとに勢力が結集します。

そのため高国は

之長が力を振るうぐらいなら、俺が細川家の当主になる

と決めると使者の仕事を放棄し、伊賀国へ出奔。

伊賀国へ出奔する細川高国

伊賀国へ出奔する細川高国

澄元の敵である義稙のグループに仲間入りをします。

こうして細川家は再び2つに割れてしまうのです。

当主になる細川高国

そんな時、義興が義稙と共に大軍を率いて上洛してくる、という情報が届きます。

この情報を聞いた義澄と澄元は、この大軍に対抗できないと思い、近江国へ逃げていきました。

近江国へ逃げる足利義澄と細川澄元

近江国へ逃げる足利義澄と細川澄元

そして空となった京都に高国や義興、義稙が入ります。

高国は、新しく(2度目)将軍になった義稙に地位を認められ、澄元に代わってしく細川家の当主となりました。

勢いに乗る細川高国

しかし高国が当主になったのを、澄元は黙って見ているわけではありません。

再び京都に入って当主になってやる

と考え、之長と共に高国と義興に決戦を挑みます(如意ヶ嶽の戦い)。

細川高国と大内義興に戦いを挑む細川澄元と三好之長

細川高国と大内義興に戦いを挑む細川澄元と三好之長

この戦いは結果をいうと、澄元の敗北。

澄元と之長は、阿波国に逃げざるを得なくなってしまいました。

阿波国へ逃げる細川澄元と三好之長

阿波国へ逃げる細川澄元と三好之長

また之長の嫡男、三好長秀は伊勢国に逃亡しますが、高国らに味方する北畠材親に攻め込まれ、長秀は自害しています。

北畠材親に攻められる三好長秀

北畠材親に攻められる三好長秀

ちなみに勢いに乗った高国は近江国へ侵攻、勝利しています。

京都を取り返す細川澄元、しかし……

しかし、そんな澄元にも転機が訪れます。

再び近江国へ侵攻した高国が大敗したのです。

高国の敗北を知った澄元は、翌年に軍を

  • 播磨国
  • 和泉国

の2手に分け、上陸をさせました。

そして、上陸を阻む高国の軍勢と戦闘になります。

この上陸戦に、澄元方は2ヶ所とも勝利。

上陸戦に勝利する細川澄元方

上陸戦に勝利する細川澄元方

敗北を重ねた高国と義興は、京都から撤退していきました。

こうして京都を取り返した澄元でしたが、澄元の優勢は長くは続きません。

澄元の支持していた義澄が病死してしまうのです。

しかも、澄元に味方していた大名の六角高頼が澄元を裏切ります。

そんな状況で、澄元のピンチをききつけたのか高国が再び京都に攻め上がります。

そしてこの時起こった「船岡山合戦」に高国は勝利。

船岡山合戦に勝利する細川高国

船岡山合戦に勝利する細川高国

澄元はまたも阿波国に逃げていきました。

阿波国に逃げる細川澄元

阿波国に逃げる細川澄元

奮闘する三好之長

このように高国が当主という状態が7年続いたある日、之長が淡路国へ侵攻します。

この時淡路国を守っていた細川尚春は、之長の猛攻に耐えられず堺へ撤退。

堺に撤退する細川尚春

堺に撤退する細川尚春

之長は淡路国の水軍を獲得することに成功しました。

こうして淡路国の水軍を獲得した之長に、さらに追い風が吹きます。

高国の支えとなっていた義興が、

隣の大名が攻めてきそうだし、家臣も裏切りそうだから領地に帰るね

と領国の周防国(現在の山口県南部)へと帰っていったのです。

義興は多くの軍勢を率いていたため、高国にとっては大きな痛手でした。

そして、この報せを聞いた澄元と之長が弱体化した高国と決戦を挑み、澄元と之長は勝利。

細川高国に勝利する細川澄元と三好之長

細川高国に勝利する細川澄元と三好之長

高国は近江国へ逃げていきますが、ここで高国派だった将軍義稙が

高国が負け続けてて頼りないから、裏切るか

と考え、澄元側に寝返りました。

再び巻き返す細川高国

こうして将軍にも裏切られた高国でしたが、まだまだ当主の座を諦めません。

自分に味方する近江国や丹波国の軍勢を率いて、京都へ侵攻したのです。

この「等持院の戦い」といわれるこの戦いで、高国は勝利。

高国はまたもや京都を取り返したのです。

京都を取り返す細川高国

京都を取り返す細川高国

しかも、長年苦しめられた之長を捕らえることに成功し、自害に追い込みます。

また、裏切ってきた義稙を京都から追放。代わりに義澄の嫡男、足利義晴を将軍にしました。

細川澄元の病死

さらに、摂津国に追放され阿波国まで落ち延びた澄元がついに病死します。

32才という若さだったので、先の敗戦がよっぽど精神的にやられたのでしょう。

そして、義晴は管領に高国を任命。

細川家の当主が高国ということが、確実に決まったかに思えました。

跡を継いだ細川晴元の逆転

しかし、ここでとある事件が起こります。

高国が、親戚の細川尹賢の讒言によって重臣の香西元盛を殺してしまったのです。

この事件を聞いて怒ったのは、兄の波多野稙通柳本賢治

弟を殺した高国と尹賢を許さない

と、なんと高国の敵である細川晴元(澄元の嫡男)と連絡を取り、丹波国で挙兵をしたのです。

この反乱を聞いた高国は丹波国へ尹賢を送って

反乱を鎮めてきてくれ

と命じますが、尹賢は稙通と賢治に敗北。

勢いに乗った稙通と賢治は、高国と尹賢の守る京都へカウンターを入れ、京都を奪うことに成功しました(桂川原の戦い)。

この戦いに負けた高国は、義晴と共に近江国へ再び逃亡。

近江国へ逃げる足利義晴と細川高国

近江国へ逃げる足利義晴と細川高国

一方の尹賢は、反乱の原因を作ったにも関わらず、高国を裏切って晴元側に寝返っています。

内乱決着

絶望的な状況に置かれてしまった高国でしたが、まだ諦めていませんでした。

備前国を治める浦上村宗の力を借りて、京都へ攻め上がったのです。

しかし、この戦いは高国が兵数有利だったにもかかわらず、敗北。

大物崩れで敗北する細川高国と浦上村宗

大物崩れで敗北する細川高国と浦上村宗

追い込まれた高国はついに自害。こうして後継者争いは終結したのでした(大物崩れ)。

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功労者、三次元長を殺害

こうして後継者争いを終えた細川家でしたが、まだまだ問題は尽きません。

高国についた将軍、義晴と和睦するかどうかで意見が分かれたのです。

具体的に言うと

  • 細川晴元=義晴と和睦し、そのまま将軍にしておく派
  • 三好元長(之長の孫)=義晴とは和睦せず、弟の足利義維を将軍にする派

という具合です。

この元長という人物は、後継者争いで活躍してきた之長の孫で、元長本人も度々活躍してきました。

そしてこの意見の違いによって、2人の仲はどんどん悪くなっていき、家臣を巻き込んで、ついに戦へと発展してしまいます。

その結果、元長は敗北して自害。

こうして自分に反対する人間がいなくなると、晴元は義晴と和睦をしました。

まとめ

  • 細川政元が暗殺され、養子が3人いた事から永正の錯乱が起こった
  • 細川高国と細川澄元は一進一退の攻防を繰り広げるも、澄元の嫡男、細川晴元が後継者となる
  • その後晴元は自分に反対する重臣、三好元長を自害に追い込んだ

最後まで読んでいただきありがとうございました。