今回は「八王子城の戦い」について解説していきます。
この八王子城の戦いは上杉景勝や前田利家や真田昌幸と、横地監物が戦いました。
この八王子城の戦いは、小田原征伐で最も激しい戦いといわれ、両軍ともに大きな被害を受けることになりました。
八王子城はこんな戦い!
八王子城の戦いを表でまとめました。
八王子城の戦い | ||||
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期間 | 1590年6月23日 | |||
戦場 | 八王子城(東京都八王子市) | |||
交戦勢力 | 豊臣家 | 北条家 | ||
主な武将 | 上杉景勝、前田利家、真田昌幸 | 横井監物 | ||
戦争理由 | 豊臣家の命令に従わないため | |||
兵力 | 15000 | 3000 | ||
形式 | 籠城戦 | |||
結果 | 八王子城は落城し監物は切腹 |
八王子城の戦いまで
まずは八王子城が始まるまでを見ていきましょう。
小田原征伐
1590年、豊臣秀吉が天下統一をするため、自分に従わない北条家に侵攻を始めます。
秀吉自身は本城の小田原城に進軍したのですが、他の北条方の城には自分の家臣に向かわせました。
そして今回の戦場となる八王子城には、上杉景勝ら15000人の軍が攻めてきたのです。
八王子城の戦い
ここから八王子城の戦いについて解説していきます。
旧北条家臣を先鋒に
そして豊臣軍は八王子城に着くと攻撃を開始するのですが、その先鋒はなんと北条方の武将である大道寺政繁でした。
政繁は初め北条方として松井田城で豊臣軍と戦っていたのですが、その松井田城が落ち、降伏した政繁は豊臣軍に編入されてしまったのです。
死闘を繰り広げる
そして北条方の城の構造を知っている政繁は、豊臣軍に城の構造を教えて有利になるよう働きかけました。
そのおかげか、豊臣軍は籠城兵を奥に追いやることに成功するのですが、豊臣軍も1000人以上が戦死するなど激戦となります。
そのため豊臣軍は一旦攻撃を止めますが、ここでまた豊臣側にチャンスが訪れました。
上杉景勝の家臣に、城についてよく知る者が現われたのです。
その者のおかげで豊臣軍は城の抜け道に奇襲をかけ、八王子城は落城まで追い込まれることになります。
落城、壮絶な戦死
この奇襲で、八王子城はついに落城の時を迎えます。
城に籠る婦女子は落城を悟ると、次々と滝に身を投げるなどして自害しました。
その滝は三日三晩血で染まったというのですから、凄まじい現場だったのでしょう。
そして城主の横井監物も、脱出には成功しますがその後切腹してしまいます。
こうして八王子城の戦いは、豊臣軍の勝利で終わったのでした。
その後
この八王子城の陥落をきっかけとして、小田原城に籠る城兵の士気が下がり、その後1ヶ月もしないうちに小田原城は開城します。
そして八王子城の城主で、小田原城にいた北条氏照は、開戦の責があるとして切腹することになりました。
まとめ
- 小田原征伐が始まったことにより八王子城の戦いが起こった
- 豊臣軍の猛攻によって八王子城は陥落した
- 城を守った横井監物は切腹することになった
最後まで読んでいただきありがとうございました。