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加賀一向一揆とは?約100年続いた一揆をわかりやすく図解解説!

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加賀一向一揆

 今回は、「加賀一向一揆」について解説していきます。

この一揆は、加賀の本願寺門徒によって起こりました。

約100年続いたこの一揆は、最後には織田信長の家臣、佐久間盛政によって鎮められます。

加賀一向一揆まで

守護大名の争いに絡んだ蓮如

この100年も続く一揆の起こったきっかけは、1つの内紛にありました。

この時加賀国を支配していた富樫家には、応仁の乱によって兄弟が敵対し、後継者を決めるため争っていたのです。

後継者を巡って争う富樫家

後継者を巡って争う富樫家

そして兄の富樫政親は、弟の富樫幸千代との争いに負け、加賀国を追い出されてしまいます。

しかし、当主の座を諦めきれない政親は、本願寺宗主の蓮如の力を借りることにしました。

蓮如

蓮如/出典Wikipedia

頼まれた蓮如は、

ここで味方して戦いに勝ったら、保護してもらえて、加賀国での布教が許されるかもしれない

考え、富樫家の争いに介入することを決めます。

頼みを受けた蓮如は、門徒を率いて政親に味方し、見事幸千代を倒しました。

この勝利によって政親は守護の座につけるし、蓮如は加賀国で布教できるしでwin-winの関係になるはず……だったのですが、ここで問題が起こります。

用済みの門徒を追い出す

蓮如のおかげで守護になれた政親でしたが、政親にはある不安がありました。

それは

もしかしたら本願寺の権力が強くなってくるかも……

ということでした。

不安で不安で仕方なくなった政親は、なんと門徒の弾圧を始めます。

そして蓮如をはじめとした門徒は政親に追い出され、隣国の越中国へと逃げていきました。

富樫政親に追い出される本願寺門徒

富樫政親に追い出される本願寺門徒

これは門徒からしてみれば

助けてやったのになんで追い出すんだよ

とまさに恩を仇で返された気持ちなので、以降は政親への不満が高まっていきます。

加賀一向一揆

国人と結託し復讐

しかもこの時、将軍の足利義尚による戦いに参加したので、戦費が富樫家の財政を圧迫していました。

そのため領地を実質的に支配する国人からも不満が高まります。

そのため、「政親」という共通の敵ができた門徒と国人は、結託して共に高尾城に攻め込んだのです。

高尾城を攻める国人と門徒

高尾城を攻める国人と門徒

これが世にいう「一向一揆」でした。

高尾城に攻め込まれた政親は、一向一揆と国人の勢いを止められず、自害してしまいます。

富樫政親は自害、落城する高尾城

富樫政親は自害、落城する高尾城

政親を自害に追い込むと、門徒と国人は政親の大叔父の富樫泰高を、次の当主に祭り上げます。

しかし泰高は名目上の守護大名で、権力はほとんどありませんでした。

なのでここから加賀国の政治は、門徒のトップがしていくことになります。

数々の戦いで衰える勢い

この事件から約80年後、門徒には尾山御坊という拠点が建てられ、さらに一向一揆を拡大させましたが、数々の名将と戦ったため、だんだん勢いに陰りが見え始めます。

どんな勢力と戦ったかというと

  • 朝倉宗滴
  • 上杉謙信
  • 織田信長

などです。

特に謙信との戦いでは、始めは優勢だったものの、次第に劣勢になっていき「尻垂坂の戦い」という決戦では、総大将の杉浦玄任は大敗を喫してしまいました。

しかしここで謙信が急死してしまいます。

門徒としては命拾いした……と言いたいのですが、さらに強敵が現れてしまいました。

織田信長です。

織田信長による鎮圧

織田信長はこの時、京都にある本拠地の石山本願寺も攻めて降伏させたため、尾山御坊ではやる気が失せてしまいます。

石山本願寺を降伏させる織田信長

石山本願寺を降伏させる織田信長

そんなところに信長の家臣、佐久間盛政が攻め込んできたことにより尾山御坊は陥落、100年も続いた一揆は終わることになりました。

佐久間盛政によって陥落する尾山御坊

佐久間盛政によって陥落する尾山御坊

その後

その後加賀国に前田利家が入国し、江戸時代は前田家が支配していくことになります。

また陥落した尾山御坊の跡地には、金沢城が築かれました。

金沢城

金沢城

まとめ

  • 富樫家の内紛に介入し加賀一向一揆のきっかけを作った
  • 政親に対して不満を抱いた門徒によって加賀一向一揆が起こった
  • 佐久間盛政によって尾山御坊が落とされ、加賀一向一揆が終わった

最後まで読んでいただきありがとうございました。

【参考サイト】

加賀一向一揆 - Wikipedia