「教興寺の戦い」は、新興勢力として頭角を現した三好長慶が、古くからの畿内の有力大名畠山高政に対して起こした戦い。
両者とも全兵力を結集して行ったこの総力戦は、長慶率いる三好家が勝利。
弟の三好実休を失うも、畿内での覇権を握ることになりました。
教興寺の戦いまで
家臣の反乱に手こずる畠山高政
室町幕府が開かれてからの名門、畠山家はこの時窮地に立たされていました。
三好長慶の台頭
三好家はもともと細川家という一族の一家臣で、当初そこまで影響力を持ってはいませんでした。
細川家というのは将軍に次ぐ名家で、全盛期には「明応の政変」で将軍を変えるほどの力を持っていました。
しかし「永正の錯乱」という内乱が起こると、細川家は20年もの間一族で争い混乱します。
その間に着々と力をつけていった三好家は、次第に細川家を凌ぐ力をつけていくことに成功。
長慶の代になると力の関係は逆転、主君の細川晴元は「長慶の操り人形」と化していました。
家臣の反乱に手こずる畠山高政
一方の畠山家はというと、この時窮地に立たされていました。
なぜなら、新興勢力である三好家が畠山家に対して圧力をかけてきたから。
しかも、そんな時に重臣の遊佐長教が暗殺されていたので、特に混乱した状態でした。
この混乱は結局、家臣の安見宗房が長教を殺した犯人を討伐し、終結。
しかし、今度はこの宗房が

と高政に謀反、高政は紀伊国に追い出されてしまいました。
困った高政は

と三好長慶に協力を求め、宗房に対抗します。
そして

と見た長慶は兵を率い、宗房の本拠地である飯盛山城を獲ることに成功します。
敗れた宗房は大和国へ逃げていき、事件はこれにて一件落着しました。
六角&畠山同盟で三好に対抗
これで畠山家は敵対する勢力を排除したのですが、高政には

という不安がありました。
そのため高政は、宗房を大和国から呼び戻し仲直りします。
長慶を恐れた高政は、逆に長慶を倒すことを目論んでいたのです。
そんな中、高政に接近してきたのが六角家。
細川晴元の姉婿である六角義賢は、晴元が長慶に幽閉されると激怒。
そんな六角家から


と同盟の提案が来たため、両者は協力して三好家を倒すことになりました。
将軍地蔵山の戦い
そんな中、長慶の弟であり「鬼十河」と恐れられた猛将、十河一存が急死します。
この死を知った高政は

と長慶を突如裏切り、一存の居城であった岸和田城を取り囲みました。
そしてこの動きに、同盟相手の義賢も動きます。
家臣に囮として将軍山城に籠らせ、自身は野外に出て、敵軍を迎え撃つ形をとったのです。
これに対して長慶は、岸和田城の救援部隊として弟の三好実休を向かわせます。
また、息子の三好義興や重臣の松永久秀に義賢の撃破を命じました。
この、義賢と義興&久秀とで起こった戦いが「将軍地蔵山の戦い」。
序盤は、三好軍が将軍山城を占領するなど優位に立ちますが、次第に形勢逆転。
最終的には、六角軍の弓攻撃によって三好軍は総崩れとなり、六角家がこの前哨戦を制しました。
そしてこの「将軍地蔵山の戦い」により、三好家を追い出した義賢は京都を制圧することになります。
久米田の戦い
一方、実休率いる救援部隊は、岸和田城周辺の貝吹山城におり今だに健在。
三好家が逆転するチャンスはまだありました。
それから畠山、三好両軍はなんと7ヶ月もの間睨み合いを続けます。
その後

と感じた高政が貝吹山城に攻め込み、戦いが起こります。
「久米田の戦い」と呼ばれたこの戦いも、始めは三好軍が有利に進めます。
しかし、畠山軍に裏を取られたのをきっかけに三好軍は崩壊。
大将である実休は三好軍から孤立し、討たれてしまうこととなりました。
長慶を包囲するも失敗
この「久米田の戦い」で勢いに乗った高政は

と、長慶の居城である飯盛山城を包囲します。
しかし、流石は三好家の本拠地。
大規模な改修を行ったこの城の守りは堅く、畠山軍は2度総攻撃をするも、飯盛山城は全く落ちる様子を見せませんでした。
その間に、敗走していた三好軍は、義興や久秀が中心となって軍を総結集させます。
このことを知った高政は

と思い、飯盛山城の包囲を解いて戦いの準備を進めました。
そのため、包囲から解かれた長慶は三好軍と一旦合流。
長慶自身は引き続き飯盛山城に残り、義興は畠山軍に向かい合う形で布陣を完了させました。
そして両軍は、教興寺の地にて衝突することになります。
教興寺の戦い
雨を利用し積極的に攻める三好軍
そして三好軍の先鋒が、畠山軍に攻撃を仕掛ける形で教興寺の戦いが始まりました。
この戦いは全体的に三好軍が積極的に攻める、といった戦局だったそう。
ちなみに、この時の天気が雨だったそうなので、鉄砲を多く持っていた畠山軍には不利な状況でした。
なので、畠山軍は積極的に攻められず、守りの姿勢だったのかもしれません。
湯川直光の戦死で総崩れに
このような天気の都合もありつつ、三好軍が戦いを有利に進めていきました。
そんな中、畠山軍の武将湯川直光が、義興の攻撃を受けて戦死します。
この戦死で、三好軍の勝利が確実なものに。
直光の死によって畠山軍は崩されていき、総崩れとなって敗走していきました。
その後
この後、勝利した三好軍は畠山軍の残党を徹底的に倒します。
また、畠山軍の敗北を知った義賢は

と、三好家の下へ降伏することになりました。
【参考】