戦の図鑑

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寧波の乱とは?大内家が貿易の主導権を握るようになった反乱をわかりやすく図解解説!

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寧波の乱

 今回は「寧波の乱」について解説していきます。

この寧波の乱は大内家の謙道宗設という使者が、細川家の鸞岡端佐宋素卿という使者に対して起こした反乱です。

この反乱によって、大内家は細川家との外交戦に勝利、大内家は日本と明の貿易の主導権を握ることになりました。

寧波の乱まで

まずは寧波の乱が起こるまでを見ていきましょう。

日明貿易(勘合貿易)とは

日本と明(中国)との間には、寧波の乱よりも100年以上前から「日明貿易」という貿易がされていました。

この日明貿易というのは、勘合という

僕たちは乗っている船は正式な貿易船ですよ

と確認する証明書を使った貿易のことをいいます。

勘合

勘合の例図/出典Wikipedia

なぜ、わざわざ証明書を使わなくてはいけないかと言うと

当時「倭寇」という日本人の海賊が、

俺らが乗っている船が正式な貿易船だ

というウソを言ってくることがよくあったので、区別するため正式な貿易船には勘合を与え、使い始めたんだそう。

またこの勘合貿易は、「日本が明に貢ぎ物をして、明からは返礼品を授ける」という朝貢形式で貿易をしていました。

そしてこの勘合貿易は、日本側は誰が参加していたかというと

  • 幕府
  • 大内家
  • 細川家

などと幕府や有力な大名が取引をしていました。

将軍を助けた大内家が有利に

しかし、幕府は将軍の後継ぎを巡って応仁の乱を起こし、影響力を弱めたので、次第に貿易をしてられない状況になっていきます。

応仁の乱

応仁の乱/出典Wikipedia

それから大内家と細川家は、お互いに貿易の主権を競い合うようになりました。

このような状況が50年続いたある日、大内家の当主の大内義興明応の政変によって追放されていた、足利義稙再び将軍にすることに成功します。

義稙としては

将軍にしてくれた大内義興は大恩人だから、褒美をやろう

として、日明貿易をする港を細川家の支配する堺から、大内家の支配する博多へと移してしまいました。

これに細川家当主の細川高国は怒りましたが、日頃から大内家に頼っていたところがあり、恩を感じていたため反抗できずにいました。

細川高国

細川高国/出典Wikipedia

しかし義興が京から周防国、長門国(山口県)に帰ると、高国は大内家に反抗することを決めます。

大内家と細川家が競って貿易船を派遣

それから4年後、大内家と細川家は再び日明貿易のため、大内家は謙道宗設を正使に、細川家は鸞岡端佐が正使で宋素卿を副使にし、遣明船という船を派遣しました。

明に向かう大内家の謙道宗設と細川家の鸞岡端佐、宋素卿

明に向かう大内家の謙道宗設と細川家の鸞岡端佐、宋素卿

この遣明船というのは、先ほど説明した正式な貿易船の正式名称で、この遣明船には勘合を持たせることが必須でした。

しかし、港が大内家に移ったことで細川家には勘合が配られません。

そのため、大内家は新しい勘合を持っていたのに対し、細川家は既に無効となった古い勘合を持って行かざるを得ませんでした。

賄賂によって細川家を優先

それにプラスして、細川家はあくまで大内家に対抗して船を出したので着くのが遅く、謙道宗設の乗る大内家の遣明船が早く明に到着します。

先に明に到着する謙道宗設

先に明に到着する謙道宗設

こうなると勘合が新しく、早く着いた大内家が優先されるというのが普通ですが、この時はなぜか細川家を先に船の検査をしたりと、細川家を優先していきました。

これはなぜかというと、細川家の副使である素卿が港の管理者のトップに賄賂を渡していたから。

そしてこの悪事はついに、大内家の正使の宗設にも知れ渡ることになります。

寧波の乱

ここからは怒った宗設によって寧波の乱が起こります。

キレた謙道宗設が鸞岡端佐を殺害

賄賂を渡していたことを知った宗設は、

賄賂を渡すなんて汚いぞ!

と細川家に対しブチ切れました。

宗設は細川家の端佐を殺害し、細川家の遣明船を焼き払います。

しかし、悪事を働いた張本人の素卿をまだ始末していなかったからか、宗設の怒りはまだまだ収まりません。

逃げた宋素卿を追跡

寧波の乱が起こったことを知った素卿は、急いで紹興城に逃げました。

鸞岡端佐が謙道宗設に殺され、紹興城へ逃げる宋素卿

鸞岡端佐が謙道宗設に殺され、紹興城へ逃げる宋素卿

そして紹興城にいることを知った宗設が追いかけまずが、結局は素卿が逃げ切ったので宗設は捕まえられません。

そのため怒りが収まらない宗設は、明の役人を殺してから船に乗って明を去っていきました。

明を去って日本に帰る謙道宗設

明を去って日本に帰る謙道宗設

裁判にかけられ宋素卿が獄死

逃げていった素卿は後に、賄賂を渡していた罪に問われ、裁判にかけられます。

結果からいえば、素卿は有罪となり投獄。しばらくして獄死しました

その後

その後、賄賂を受け取った港の管理職も罪に問われ、廃止しています。

日本では、日明貿易の主権は大内家が握ることになりますが、それからわずか25年ほどで日明貿易は廃止することになりました。

まとめ

  • 細川家の宋素卿が賄賂を渡し、寧波の乱が起こる
  • 細川家の正使である鸞岡端佐は殺害、副使の宋素卿は逃亡する
  • その後宋素卿は獄死、日明貿易は大内家を主導権を握る

最後まで読んでいただきありがとうございました。