戦の図鑑

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三浦の乱とは?日本人による朝鮮半島での反乱をわかりやすく図解解説!

三浦の乱

 今回は「三浦の乱」について解説していきます。

三浦の乱は恒居倭人と呼ばれる日本人が、朝鮮国に対して起こした反乱です。

この三浦の乱によって日本と朝鮮国は仲が悪くなり、国交を中断することになりました。

三浦の乱まで

まずは三浦の乱が始まったきっかけから見ていきましょう。

倭寇をきっかけに始まった通交

三浦の乱が始まるまで、日本と朝鮮国は「倭寇」という存在よって、お互い連絡を取り合ったり、貿易をしたりしていました。

倭寇

倭寇/出典Wikipedia

この倭寇というのは、各地の沿岸で略奪行為をしていた人達のことで、簡単に言えば日本人の海賊(後に日本人が少なくなりますが)です。

そして朝鮮半島にも倭寇がやってきて、好き勝手に荒らしまわっていました。

朝鮮国はこれに困っていたので、対馬国を治める宗家に

迷惑なんで倭寇の活動を止めさせてください

と荒らし行為を止めるように伝えます。

対馬国

対馬国

これに対して宗家は

貿易したりしてくれるならいいですよ

とう条件付きで倭寇の活動を止めさせました。

こうした経緯で、朝鮮国と宗家は貿易を始めたのです。

貿易したくない朝鮮国、貿易したい宗家

倭寇を辞めさせるため始まった貿易でしたが、朝鮮国はこのやり取りで損をしていました。

それは連絡を取り合ったり、貿易をする度にお金がかかるから。

しかも朝鮮国は「他国とはほとんど貿易せず自給自足する国」だったので、貿易はあまりにも意味が無いことでした。

そしてお金の負担が耐えられなくなった朝鮮国は、ついに貿易に制限を加えます。

しかし、この制限に怒ったのは宗家。

宗家の治める対馬国は山が多く、田もロクに耕せないような土地だったので、貿易をして利益を出す方法でしか生きていられなかったのです。

この結果

  • 貿易したくない朝鮮国
  • 貿易したい宗家

という方針の違いができてしまいました。

対馬国からの移住が続出

そんな中、対馬国から朝鮮国の港の三浦へ移住する人達が続出します。

三浦

三浦

なぜかというと、

田が耕せない対馬国にいるなら、いっそのこと土地が豊かな朝鮮半島へ行こう

と考える農民が増えたから。

そして約60年の間に、「恒居倭人」と呼ばれる三浦での日本人の人口は

  • 1436年→206
  • 1494年→3105

15倍以上に膨れ上がっていきました。

恒居倭人を取り締まり不満が爆発

こうして恒居倭人が増加していくと、次第に恒居倭人は悪事を働くことになります。

例えば

  • 決められた場所以外で漁をする
  • 倭寇のように海賊になる
  • 密貿易(不正規な貿易)をする
  • 税を納めない

など。

なので朝鮮国は恒居倭人をだんだん迷惑に思い、ついに

海賊のような行為を働いたら即処刑にします

など、恒居倭人を厳しく取り締まることにしました。

そしてある事件が起きます。

海賊行為をしていない恒居倭人が釣りをしていた所、海賊と勘違いされ殺されてしまったのです。

この事件によって、恒居倭人は厳しく取り締まる朝鮮国に対して、日頃から溜まっていた不満が爆発しました。

三浦の乱

こうして朝鮮国に対して不満を持った恒居倭人によって、三浦の乱が勃発します。

恒居倭人の挙兵、宗義盛の援軍

不満が爆発した恒居倭人は、ついに挙兵をします。

また挙兵を聞きつけた宗家当主、宗義盛(当時は盛順)が援軍にやってきて、総勢4500の軍で反乱を起こしていきます。

※因みに宗家が三浦の乱を起こした、と言われています。

挙兵する恒居倭人と援軍を率いる宗義盛

挙兵する恒居倭人と援軍を率いる宗義盛

釜山浦と薺浦を占領

こうして義盛を大将とした反乱軍は、初めに三浦の1つである釜山浦に侵攻します。そして義盛は釜山浦を占領することに成功しました。

釜山浦を占領する宗義盛

釜山浦を占領する宗義盛

この釜山浦を守っていた朝鮮国の武将は討ち取られてしまいます。

次に義盛が向かった場所が、薺浦。

この薺浦でも、義盛は占領に成功します。

薺浦を占領する宗義盛

薺浦を占領する宗義盛

ここでは薺浦を守る武将を生け捕りにしました。

朝鮮国の反撃

そして義盛は釜山浦から東莱城、薺浦から熊川城に向かいます。

しかしここから朝鮮国の反撃が始まり、義盛は攻撃に失敗

東莱城と熊川城の攻撃に失敗する宗義盛

東莱城と熊川城の攻撃に失敗する宗義盛

勢いを失った義盛は薺浦に兵力を集中させ、兵の一部を対馬国へ帰らせました。

兵の一部を対馬国へ帰らせる宗義盛

兵の一部を対馬国へ帰らせる宗義盛

対馬国へ撤退

これ以上攻めても勝てないだろうから、朝鮮国と交渉してできるだけ有利に戦いを終わらせたい

 と考えた義盛は、できるだけ有利に朝鮮国と講和をしようと努力をします。

しかし朝鮮国に仲直りする気は無く、朝鮮軍は薺浦に攻撃を始めました。

そして抵抗むなしく薺浦は陥落。義盛たちは対馬国へ逃げ帰りました。

対馬国へ逃げる宗義盛

対馬国へ逃げる宗義盛

その後

その後、日本と朝鮮国は仲が悪くなりしばらく間、絶交の状態が続きます。

しかし朝鮮国も、多少は貿易する必要があったので、三浦の乱の2年後に日本と朝鮮国の間に、壬申約条が成立。再び貿易が始まることになりました。

まとめ

  • 恒居倭人の横暴によって三浦の乱が始まる
  • 途中から反乱軍の勢いが止まり、朝鮮国が三浦の乱を鎮める
  • 三浦の乱から2年後、再び貿易が始まる

最後まで読んでいただきありがとうございました。